節句は日本の季節のふしめであり、日本人の大切な文化や風習です。そんな節句を子どもたちに感じさせてくれる絵本はたくさんあります。節句にまつわる絵本を読んだら、少しだけ節句や行事についてお子さんに話してあげてはいかがでしょうか。
子どもの日を迎える前に「なぜ端午の節句が5月5日なのか」「なぜこいのぼりを揚げるのか」「なぜちまきを食べるのか」など、端午の節句にまつわる由来を思い出してみませんか。
【このページの目次】
端午の節句にまつわる由来
端午の節句と5月5日
●「5」月が「午」の月だった
明治の初めまで日本人は旧暦で生活していました。旧暦では12ヶ月を十二支で表していたのですが、5月が「午(うま)」の月でした。これは「5」と「午」が同じ『ご』と読めるからなどという理由ではなく、1年が12ヶ月なので同じく12種類だった十二支を当てたら、たまたま最初から5つ目が「午」になったというわけです。
子(ねずみ)から始まる十二支で「午(うま)」は7番目なのに、なぜ「5月」なのでしょうか。それは、始まりの1月が「寅(とら)」だったからです。「寅」から数えて5番目が「午」でした。
●「端」午の日は「最初」の午の日
ひと月には何度か「午の日」と呼ばれる日があったのですが、いつからか「午の月」の最初の「午の日」を節句としてお祝いするようになりました。「端午」というのは「端っこの午」、つまり「始まりの午」という意味でした。
● 端午の節句は『ご』の日
次第に「午(うま)」が「5(ご)」と同じ読み方をするからという理由で「端午」は5日になりました。5は『ご』と読むし、午も『ご』と読めるから、『ご』が重なる5(ご)月5(ご)日は端午(ご)の日にしよう!…と何とも大らかな理由で端午の節句は始まりました。
● くり返される音は美しい
昔から日本人はたった50音しかない日本語の音を楽しむことが好きでした。母国語の音を楽しむという点では日本人だけに限りません。世界に目を向けてみると、英語でも中国語でも詩の中では必ず「同じ韻をくり返す」押韻と呼ばれる手法が使われ、同じ音がくり返される響きの美しさや心地良さを楽しんでいました。
いつか外国人に端午の節句について紹介する機会があったなら「端午の節句は日本の言葉遊びでできた風習なんですよ」などと話しはじめると相手の興味をグッと引けるかもしれません。
端午の節句と菖蒲
端午の節句に欠かせない菖蒲 Wikipediaロシア語版より
● 端午の節句は「菖蒲の節句」
端午の節句は別名で「菖蒲(しょうぶ)の節句」とも呼ばれます。菖蒲には邪気を払う力があるとされた昔の中国では、端午の節句には菖蒲の葉を家の前に掛けていました。その風習が日本に伝わり、日本でも端午の節句には軒先に菖蒲を吊るしたり、菖蒲湯に入ったりするようになりました。
● 菖蒲が縁起物とされた理由
菖蒲に邪気を払う力があると考えられたのは菖蒲の葉っぱの形と香りのためでした。菖蒲の葉っぱは細く長くしなやかでピンと上を向いていて、その形は刀剣を連想させます。香りは爽やかで清々しく、昔の人にとってその香りは邪気をも払えるかのような清らかさを連想させました。
端午の節句と男の子
● 菖蒲は尚武を連想させるから
端午の節句が「菖蒲の節句」と呼ばれるようになり、菖蒲(しょうぶ)が尚武(しょうぶ)と勝負(しょうぶ)を連想させたため、男の子の出世と武運を祈る男の子のための節句になりました。
● 実は昔は女の子の節句だった
「尚武」が大切だと考えられたのは武士の時代ですが、実は端午の節句が日本に伝わったのは武士が台頭する時代よりももっとずっと前のことです。例えば、奈良時代の聖武天皇のころには既に「端午の節句には魔除けのために菖蒲をつかった飾りを贈る」という宮中行事がありました。
端午の節句が中国から日本に伝わった当時、日本には旧暦5月の初めに「女性が田植え前に身を清める儀式」をおこなう風習がありました。この風習と端午の節句が結びつけられて考えられたため、もともと端午の節句は女性が身を清めるための行事として広まりました。「菖蒲が尚武と勝負を連想させる」ために端午の節句が男の子の節句になったのは鎌倉時代に入ってからのことです。
端午の節句の飾りの由来
端午の節句には五月人形を飾り、こいのぼりを掲げます。こいのぼりが家の外に飾る『外飾り』と呼ばれるのに対し、家の中に飾る五月人形は『内飾り』と呼ばれますが、こいのぼりと五月人形はそれぞれ込められた願いが違います。
五月人形は子どもを守るため
端午の節句が男の子の節句とされたのは鎌倉時代からですが、武士の家庭では鎧(よろい)や兜(かぶと)、刀、武者人形、金太郎や武蔵坊弁慶などの五月人形を飾り、子どもの健やかな成長を祝い、また「子どもを病気や災いから守ってくれますように」と願いました。
● 五月人形が飾られる由来
鎌倉時代の武士の家庭では梅雨の時期の旧暦5月に、代々家に伝わる鎧や兜を虫干しするために家の奥から出してきて軒先に置いておいたのだそうです。旧暦5月は梅雨の時期です。台風も上陸していたことでしょう。天気が悪いために戦もなく、農作業もできなかったことが理由かもしれません。
軒先に置かれた代々伝わる鎧や兜を前に、父親は子どもに先祖の活躍や家訓、武士としての心構えなどを教えたと言います。五月人形は、昔の武士の誇りであり、威厳であり、魂が由来だと言えるかもしれません。しだいに虫干しのためにただ軒先に置いておくのではなく、鎧や兜や刀や武者人形や五月人形などを飾り棚に飾るようになりました。さらに家の中を飾るだけでなく、家の外には家紋の入った家の幟(のぼり)を掲げるようになりました。
家紋の入った幟を掲げた合戦『関ヶ原合戦屏風』Wikipediaより
五月人形は男の子の成長と健康のための武士の風習に由来しています。
こいのぼりは子どもの成功を
こいのぼりは子どもの立身出世や名声、成功、幸せを願って立てられます。五月人形は武士の風習に由来していますが、こいのぼりは江戸時代の商人の風習に由来している縁起物です。
● こいのぼりが飾られる由来
江戸時代、武士よりも財力をもつようになりつつあった商人は豪華絢爛な鎧兜や人形を飾る武士に対抗するようにざまざまなものを飾るようになりました。実戦では使えない飾るためだけの鎧や兜をつくって飾りたてたり、武士の幟(のぼり)に見立てて家の前に吹き流しを立てたりしました。当初は真っ白だった吹き流しに、しだいに色がつけられたり模様が描かれたりするようになりました。さまざまな模様が吹き流しに描かれた中で人気があったのが鯉(こい)を描いたものと、五色の吹き流しでした。
武士の真似をして幟に見立てた吹き流しを立ててはみたものの「真っ白ではつまらない」とでも考えたのでしょうか、常に新しい楽しみ方を模索する江戸商人の粋を感じます。
● こいのぼりは中国の故事に由来
鯉が描かれた理由は、当時広く知られていた昔の中国の故事になぞらえたからです。こいのぼりの由来になった中国の故事によれば「黄河にある『竜門』という名前の滝をたくさんの魚が登ろうとしたところ、竜門の滝を登れたのは鯉だけで、滝を登れた鯉はそれあと竜になることができた」と言います。「鯉の滝登り」という伝説が元になっているこの故事は『こいのぼり』の由来としてだけではなく、『登竜門』という言葉の元となった故事としても有名です。
● 吹き流しの五色は中国哲学が由来
吹き流しの色が5種類になったのは五行説に由来しています。五行説とは世界を5つに分けて解釈しようとする古代中国の自然哲学の考え方です。五行説によれば「自然は木、火、土、金、水の5つから成り立っていて、この5つの要素が互いに影響しあうことによって世界が変化して循環している」ことになり、四季の移り変わりもこの5つの要素が変化することで起こるとされます。
五行説の考え方は日本文化にも大きな影響を与え、祭祀や神道などから文化や風習にまで深く根づいています。身近な例では五色の吹き流しのほか、七夕の歌の中でも「五色のたんざく」と歌われますよね。
端午の節句の食べものの由来
ちまきもかしわ餅も健康祈願
端午の節句にはちまきを食べたり、柏餅(かしわもち)を食べたりします。ちまきも柏餅も子どもを悪い病気や災難から守るための縁起物です。
旧暦の5月は季節の変わり目で、気温も湿度も大きく上がったり下がったりしたために病気にかかりやすく「毒月」と呼ばれたりもしていました。端午の節句にちまきや柏餅を食べるのは病気になりやすい時期に縁起のよい食べものを食べさせることで、子どもの健やかな成長を願う風習です。
西はちまき、東は柏餅
端午の節句に「ちまき」を食べるのは西日本の、「柏餅」を食べるのは東日本の風習です。ちまきは中国伝来なので中国に近かった西日本ではちまきが急速に広がったのだとも、昔は柏(かしわ)という植物が東日本にしか生息していなかったために西日本ではかしわ餅が食べられなかったからだとも言われます。
ちまきを食べる由来
端午の節句にちまきを食べるのは中国の古い言い伝えが元になっています。昔、中国の高名な詩人が国を憂い5月5日に川に身を投げました。故人を慕う人々は「故人の体を魚が食べないように」魚のエサとして餅を川に投げました。ある日、故人の霊が現れて「餅は川に棲む龍が食べてしまう。笹の葉で包み、五色の糸で巻けば、龍に食べられずにすむだろう」と言ったと言います。そのため、ちまきは忠誠心の象徴として、子どもに「忠義の人」になることを願う武士に広まったと言われます。
● チガヤの葉で巻いたからちまき
日本では笹ではなく茅(ちがや)の葉っぱで包んだことから「チ(ち)ガヤで巻(まき)いた餅」として『ちまき』と呼ばれるようになったと言われています。
柏餅を食べる由来
ちまきは中国から伝わりましたが、一方で、かしわ餅の歴史は日本にあります。江戸時代の参勤交代で広く伝わったと言われていますが、柏の葉は新芽が育つまでは古い葉が落ちないので、子孫繁栄の縁起物とされました。
由来がこんなに複雑だから…
「5月5日の端午の節句にこいのぼりを揚げ、五月人形を飾り、菖蒲湯に入って、ちまきや柏餅を食べる」という子どもの日の風習は、中国から伝わった風習が日本で日本の文化や習慣にとけ込みながら、武士や商人など立場の違う人々によって受け継がれ、発展してきたものです。
絵本は千差万別
端午の節句という行事の変遷が少し込み入っているからでしょうか、端午の節句の有名な物語はありません。そのため、こいのぼり絵本はどれも内容がとても独創的でユニークです。
毎年読んでも楽しめる
お子さんの発達にあわせて毎年少しずつ難しい絵本を読んでみても、決して退屈することはないでしょう。
英語で紹介できるかな?
お子さんに「将来は英語を話せるようになってもらいたいな」と思っているママやパパには自信をもって『行事の絵本』をおすすめします。お子さんの英語力のためにも、海外で活躍する日本人の教養としても、行事の知識や経験は役に立つと思います。
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