1人目では大失敗したソフロロジー出産でした(とても辛かったという記憶ばかりが残っていますが、どの助産師さんにも「安産だったね」と言われたのできっともっとずっと辛いお産がたくさんあるのだろうと思います)。2人目と3人目では素晴らしいお産だったと自分で満足できるほどなので、一応「ソフロロジー出産は成功」と言えるのではないかと思います。そこで1人目の失敗と、2人目と3人目の成功では何がどう違ったのか、何をどう変えたのか…改めて記憶をたどりながら3回のマタニティ生活と3回のソフロロジー出産をのそれぞれ比較してみました。
【このページの目次】
1回目のソフロロジー出産
1回目の妊娠の記憶
赤ちゃんという存在の感じ方
最初の妊娠ではお腹にいるはずの赤ちゃんの存在をそれほど強くは感じられませんでした。頭では「自分の中にもう一つの命が宿っている」と分かっていましたし、胎動を感じるたびに「今日も赤ちゃんは生きてるんだな」と思ってもいました。しかし、どこか「自分の体の中にもうひとり人間がいるなんて…」と信じられない部分もあり、(文字にするとあまりインパクトがないのですが)言うなれば「自分は “お腹の中に赤ちゃんがいる妊婦” なんだ」といつも思っていた状態だった気がします。
妊娠中の過ごし方
最初の妊娠は「元気いっぱい」でした。初期のつわりも軽く、中後期づわりもなく、お腹のふくらみも(おそらく)一般的で、身重ながらとても身軽なマタニティ生活でした。
初めての妊娠では一応3つの胎教に挑戦しました。(やり方はいつも気分次第で、毎日続けたりなどもせず、気が向いたときに気が向いたやり方でやっていた完全自己流の胎教でした)
- 音楽を聴くこと(私が聴いていた音楽やおすすめしたい胎教音楽はこちらでご紹介しています)
- CD付き英語絵本の読み聞かせ(と言うよりもジャドーイングに近く自分の発音矯正をしていました)
- 赤ちゃんへの語りかけ(でも恥ずかしくて心で語りかける感じでした)
このほかにも、妊娠中のママの「これは興味深い」と何かに関心を寄せる心の動きと「今よりもよい状況や環境を望んで」新しいことに挑戦するという妊婦ママの行動はお腹の赤ちゃんにとてもよい胎教だという情報を仕入れたこともあり、たまたま公民館で見かけた格安通訳講座に通ってみたり、未経験なのに和楽器のお稽古を始めてみたりと自分の好きなことを満喫して「胎教」をした気になっていました。
1回目の出産の記憶
陣痛の感じ方と出産レポ
大失敗した1回目のソフロロジー出産につきましては出産レポの方にかなり詳しく書かせていただきましたが、改めて2回目と3回目のソフロロジー出産と比べてみると、確かに、1回目のお産では陣痛に対して「痛い」「もう嫌だ」「早く出てきて」とネガティブなことを思えば思うほど、陣痛の痛みが強く辛くなっていました。一応ソフロロジー出産の「陣痛の痛みを前向きにとらえれば痛みは軽くなる」という理屈は理解していたつもりだったのですが、陣痛の痛みが本当に腰骨がくだけ体が上と下にちぎれてしまうのではないかと思うほどで、痛みに対する恐怖と嫌悪感以外に何かを考える余裕などまったくありませんでした。
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2回目のソフロロジー出産
2回目の妊娠の記憶
妊娠中の過ごし方
初めての妊娠で私が一番反省しているのは、赤ちゃんへの語りかけを「声を出して」しなかったことです。初めての妊娠では赤ちゃんがお腹にいるという実感がほとんどなく(あったのは「自分が妊婦だ」という認識だけでした)、赤ちゃんへの語りかけが恥ずかしくて仕方ありませんでした。
部屋には自分の他には誰もいないのに「赤ちゃんに声をかけている自分」というものが恥ずかしくて恥ずかしくて、ずっと声に出さずに「語りかけ」をしていました。「ママと赤ちゃんは心でつながっているから声に出さなくても絶対に伝わっているはず」などと自分に言い訳をしながら、心の中で赤ちゃんに声をかけ「語りかけ」をしているつもりになっていました。
声を出して赤ちゃんに語りかける重要性に気づいたのは2回目の “陣痛中” でした。2回目の妊娠中には実は「声を出して語りかけをすること」が大切なことだとはまったく思っていなかったのですが、すでに子どもが一人いましたので子どもに挨拶などを習慣づけさせる過程で
「寝るときには『おやすみなさい』って(おじぎを)するんだよ。じゃあ、パパに『おやすみなさい』しようか。次はお腹の中の赤ちゃんにも『おやすみなさい』しようか」
などとお腹に声をかけるようになり、やがてお腹の赤ちゃんへの語りかけを一人目の子どもと一緒にするようになりました。声を出して赤ちゃんに語りかけをしていると、一人目の子どもとずっと一緒にいるように、お腹の中の胎児ともずっと「一緒にいる」という実感が自然とわいてきました。この「赤ちゃんと一緒にいる」という感覚が2回目の陣痛で絶大な威力を発揮してくれたのですが、その前に少しだけ2回目の妊娠中におこなった胎教についてご紹介させてください。
2回目の妊娠中は妊娠6ヶ月ころから後期づわりのような倦怠感と関節痛がひどく、自分や夫の食事もろくに作らず(作れず)、掃除洗濯も必要最低限しかせず(できず)、子どもの食事だけを何とか用意するだけで1日のほとんどを体を横たえて過ごしていました。食事は子どもの昼食の残りを夕食として夫婦で食べたり、夫が帰宅途中で何か買ってきてくれたりしていましたし、掃除洗濯も週末にほとんど夫がこなしてくれました。私は気持ちの浮き沈みもとても激しく、2回目の妊娠中は夫には本当にお世話になりました。私はつわりとしてとても有名な吐き気がまったくなかったので、夫は(見た目は元気そうなのに)毎日毎日ゴロゴロしている私が怠け者になったのではないかと「産後も食事、掃除、洗濯をすべて押し付けられ続けたらどうしよう」と真剣に心配していたそうです。
毎日毎日ベッドかソファで横になっていたのですが、横になってさえいれば体調が比較的落ち着いていたので正直なところ暇で暇で仕方ありませんでした(一人目もまだまだ睡眠時間の長い乳児でした)。できることと言ったら携帯をいじることくらいだったので、胎教について検索しまくりました。そして目についた胎教グッズはたいてい買ってしまい、2回目のマタニティ生活は胎教ざんまいでした。私が試したたくさんの胎教はどれも「赤ちゃんの存在を強く感じること」「赤ちゃんと一緒にいる感覚を育てること」に役立ちました。数多くの胎教で得た赤ちゃんとのボンディングは間接的にソフロロジー出産の成功にきっと役に立ったのだろうと感じています。
赤ちゃんという存在の感じ方
「赤ちゃんは(自分の)お腹に ”いる”」と感じていた最初の妊娠に対して、2回目の妊娠では「赤ちゃんはいつも自分と ”一緒にいる”」という感覚がありました。しかし、その感覚も一人目の子どもと一緒にお腹に語りかけをする中で少しずつ大きくなってきたもので、ときどきマタニティブログなどで拝見するような「胎動を感じるたびに生まれたばかりの赤ちゃんが目に浮かぶ」というほどではまったくありませんでした。
ただ1回目の妊娠と比べて大きく違ったのは「胎教の楽しみ方」でした。1回目の胎教では胎教をしたあとに考えていたことと言えば「この胎教は楽しかったな、好きだったな」「この胎教って赤ちゃんに何か良かったのかな、何かいい影響があるといいな」などと自分が主体で、胎教は自分から赤ちゃんへの働きかけだという意識がありましたが、2回目の妊娠では胎教の効果よりも胎教をすること自体が目的になったので「この胎教って赤ちゃんに何か良かったのかな」などとは考えなくなりました。
きちんと声を出す正しい語りかけのおかげで、2回目の妊娠では赤ちゃんとは「いつも一緒にいる」という実感を強く感じられたのですが、胎教をしたあとには「この胎教は楽しかったね」「ママはこの胎教好きだったな、あなたはどうだったかな」などと、自然と気持ちが赤ちゃんにより添うようになり、「赤ちゃんのために」胎教をするのではなく、赤ちゃんと一緒にすごす時間を「赤ちゃんと一緒に楽しむ」ために胎教をしているんだと感じるようになりました。
2回目の出産の記憶
陣痛の感じ方と出産レポ
2回目の妊娠中にすでに自分が何かを感じれば反射的に赤ちゃんのことを考えるようになっていましたので、陣痛が始まっても私がまず考えたのは赤ちゃんのことでした。
ソフロロジー出産の考え方の中に「お産を正しく理解することで陣痛の痛みを緩和する」というものがありますが、ソフロロジー出産の一環としてお産の仕組みを学んだときに「陣痛はママにとっては腰回りが痛いだけだけれど、赤ちゃんは全身を押しつぶされていて激痛に違いないこと」「痛みが “陣痛” という非常事態だということが理解できず、これまで温かい羊水の中で平穏に過ごしていたのに突然押しつぶされたと思ったら羊水がどんどん減っていってしまって、赤ちゃんはママ以上に不安に違いないこと」なども学びました(1回目のときにも学んだはずなのですが学んだかどうかすらよく覚えていません)。
そのため陣痛が始まったらすぐに「大丈夫だよ、今のは陣痛って言うんだよ」「もうすぐママに会えるサインなんだよ」「ママも頑張るから、あなたも頑張ってね」という言葉がするすると出てきて、自分でもびっくりしたことを覚えています。
それから陣痛がどんどんと強まりましたが、頭の中は陣痛のことよりも赤ちゃんのことでいっぱいでした。ちょっと陣痛が強くなると「今のは痛かったね」「でも大丈夫だよ」「ママがいるからね」などと言ってみたり、陣痛がかなり痛くなり息をとめて痛みをこらえてしまったときには「今、ママ息を止めちゃったね」「苦しかったでしょ、ごめんね」「いっぱい酸素を送ってあげるから心配しないでね」などと言ってみたりしていました。
そうこうしているうちに、陣痛はどんどん痛みを増すのですが不思議と痛みを「痛い」とは感じず、むしろ「今の陣痛はあんまり強くならなかったね、もっと強くならないと出てこられないのにね」「次の陣痛はもっと強いといいね」などと言う余裕もあったほどでした。
陣痛の痛みは…と言うと(陣痛の痛みの感じ方はきっと千差万別なので参考にもならないのかもしれないなのですが)、陣痛が始まってから動けなくなるくらい(分娩台に案内される)までは陣痛を「痛い」と感じていましたし、陣痛が強くなるにつれて痛みが強くなることも感じていました。そのため陣痛の波が来るたびに(私はトレーニングをサボったので自己流の)ソフロロジーの呼吸法(もどき)で、何とか息を止めずに赤ちゃんに酸素を送り続けられるように頑張っていました。
1回目の出産では分娩台に案内されてからが長く辛く、陣痛の波が来ていても引いていても体も呼吸も思い通りにはコントロールできず、とにかく「早く終わってくれ」と祈っていたので「陣痛は分娩台からが激痛だった」という記憶ばかりが強く、分娩台に上がってからも「陣痛がもっともっと強くならないと赤ちゃんは出てこない」と思い込んでいたのですが、2回目の出産では分娩台に上がってからが楽でした。
分娩台の上でも陣痛が強くなっていく感覚はあるのですが、息さえ細く長く吐き続けていると(人間は本能で吐いた分の息を吸うので、ママは息を吐くことさえできれば赤ちゃんには酸素を送ることができます)不思議なことに、陣痛の痛みが「鎮痛剤を飲んだ時の痛み」のように感じられていました。
私は生理痛がひどいときには時々鎮痛剤を飲んていたのですが、鎮痛剤を飲んだ時の生理痛の痛みが「まるで痛みをオブラートで包んだような」感じでした。痛みの存在は認識できるのですが「痛い」とは感じず、いつも「鎮痛剤を飲んでいなかったらかなり痛いんだろうな」と感じていました。
分娩台の上でも陣痛はどんどん強くなっていたのですが「一枚、また一枚」と痛みをオブラートで包み続けているかのように、陣痛が強くなった分だけ伝わる痛みが鈍くなり、まるで陣痛の痛みに合わせた鎮痛剤を飲み続けているような感覚でした。そのため「痛い」という感覚もありませんでしたし、「痛かった」という記憶も残っていません。
陣痛の波がくると息を細く長く吐きつづけ、陣痛の波がおさまるとオブラートで包まれたような痛みを感じ、また前回より強い陣痛の波がきて、前回より厚いオブラートで包んだような痛みを感じ…と繰り返していると、突然風船が割れたようにオブラートの鎮痛効果が消え、記憶にある “あの” 陣痛の激痛を感じる瞬間がありました。するとすぐに助産師さんが駆けつけ「子宮口全開大ですね、もう赤ちゃんが出てきますよ〜」と言われ、助産師さんの誘導に合わせていきんだり、力を抜いたりしていると、体感的には2回の陣痛の波で赤ちゃんが外に出て来てくれました。
厳密に言うと、2回目の出産でも陣痛の激痛は感じたのですが、私が覚えている限りでたった2回の陣痛でしたので、「永遠に続くのか」と感じられた1回目の苦しい激痛とは比べものになりません。そのため記憶にも「ぜんぜん痛くなかった」という印象しか残っていません。よくよく思い出せば、確かに “あの” お産の激痛はあったのですが。
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3回目のソフロロジー出産
3回目の妊娠の記憶
妊娠中の過ごし方
3回目の妊娠では、前回の「赤ちゃんと一緒にいる」という実感も、その「赤ちゃんと一緒にいる」実感のおかげで「(陣痛が)ぜんぜん痛くなかった」という体験もあり、2回目よりもさらに積極的にお腹に声をかけていました。
一人目と二人目は年子だったので、二人目を妊娠中には一人目はまだ乳児でしゃべらなかったのですが、三人目の妊娠中には一人目も二人目も三語文を卒業していない時期だったので、私の日本語もかなり猫なで声の赤ちゃん言葉になっていたと思います。お腹の赤ちゃんへも同じような調子で語りかけていたので、きっと、はたから見ればかなり気持ちの悪い光景だっただろうとは思いますが、3回目は「妊娠している状況」というものにも慣れ、「周りはきっと気持ち悪がっているんだろうな」という状況すら楽しめるようになっており、赤ちゃんセンターなどは言うに及ばず公園やスーパーなどでも「あ、今日はお魚が安いね。夕食は塩焼きにしようか」などと声を出してお腹に声をかけていました。
2回目の妊娠で買いためた胎教グッズは3回目でも大活躍で、「こんなに楽しいなら一人目のときから買っておけばよかったな」と思いました。
赤ちゃんという存在の感じ方
「赤ちゃんと一緒にいる」という実感は(文字に書き起こしますとあまり違いがないように読めますが)「妊婦ママ」である自分が、より「妊婦」であるのか、より「ママ」であるのかの違いだったような気がします。
3回目の出産の記憶
陣痛の感じ方と出産レポ
1回目の激痛だった陣痛と2回目の痛みを感じなかった陣痛を思い返してみて、陣痛中の赤ちゃんへの声かけが陣痛を軽くしてくれることは分かっていました。そのため3回目は陣痛が軽くなることを見越して、声かけ自体にも意識的に意識をむけるようにしていました。
その結果、2回目の陣痛と比べると「オブラートのような鎮痛効果」が効くのが早かったような気がします。2回目の出産では陣痛が始まってから動けなくなるまで(分娩台に乗るまで)陣痛が「痛かった」と記憶しているのですが、3回目のお産では陣痛が始まり、家で産院へ向かう準備をしている時間からすでに鎮痛効果を感じていました。「ああ、陣痛がどんどん強くなってきてる。鎮痛剤(がわりのソフロロジー)がなかったらすごく痛いんだろうな」と痛みを客観的に感じられる程度の痛みでした。
3回目の出産レポにも書かせていただきましたが、3回目は鎮痛効果がかなり効いていたので分娩台に案内されてからも助産師さんと世間話をしたり談笑したりしていましたので、助産師さんに「あらまあ、陣痛中に笑ってるの、最高のお産だー」などと茶化されたのだと思います。3回目は赤ちゃんが出てくる瞬間の激痛もほとんどありませんでした。(お産とは関係がないので出産レポには書きませんでしたが、実は3回目の妊娠中に椎間板ヘルニアになってしまいました。そのため赤ちゃんが出てくる瞬間は腰に激痛が走り、赤ちゃんが出て来たらピタッとおさまるはずの痛みがずっと腰に残るという違う激痛に苛まれたのですが…)
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まとめ
私が体験したソフロロジー出産はただただ「赤ちゃんへの声かけ」だけで実現できたような気がしています。「ソフロロジーが成功する魔法の言葉」として私が妹や友人に伝えたお産のコツは「陣痛が来たら赤ちゃんに声をかけ続けること」これだけでした。程度の差はあれ、妹や友人は「(赤ちゃんに声をかけていると)お産が辛くなくなった、陣痛の痛みが遠のいた」と言っていたので、陣痛中に赤ちゃんへ声をかけることは一定の効果はあるのではないかと感じています。
ソフロロジー出産 失敗の原因
私の最初のソフロロジー出産の失敗の原因は「陣痛中に赤ちゃんに声をかける」ことができなかったからだと思います。「赤ちゃんに声をかける」なんてとても簡単なことですが、陣痛が始まってしまうと「声かけ」という簡単なことですら続けることは非常に難しいのではないでしょうか。それほどの痛みが襲ってきますので。たった数時間で骨盤を10センチも開くのですから仕方のないことだと思います。
だからこそ妊娠中から赤ちゃんに声をかけて、自分が意識をしなくても「赤ちゃんが常に自分と一緒にいる」感覚と「赤ちゃんは自分が守ってあげなくては」という自覚が必要なのではないかなと感じました。最初の妊娠では私には赤ちゃんの存在を強く感じることも、自分がママだという自覚もまったく足りませんでした。1回目のソフロロジー出産の敗因はここにあると思います。
ソフロロジー出産 成功の要因
2回目のソフロロジー出産が成功したのは偶然でした。たまたま一人目の子どもが「胎児への声かけ」と同じレベルの声かけが必要な月齢であったことや、普段から赤ちゃんがまるで一人前の大人であるかのような内容の声かけをしていた私の妄想好きな性格などが幸いしたような気がしています。
2回目のソフロロジー出産の成功でソフロロジーの理屈を体で覚えたように思われました。ソフロロジー出産の本には「陣痛の痛みを和らげられるような子宮の収縮を受け入れる心の状態をつくり出し、呼吸法は赤ちゃんに充分な酸素を送り、自分の意識を陣痛の痛みから逸らし、子宮の活動を助けます」と書かれていました。
「子宮の収縮を受け入れる心の心理状態」というものが「ママとしての自覚」であり、陣痛の波が来ていてもずっと赤ちゃんのことを考えていられる心の状態なのではないかと思いました。「赤ちゃんに充分な酸素を送る呼吸法」とは「息を細く長く吐き続ける」ことですが、私はずっと「自分の意識を陣痛の痛みから逸らす」という意味が分からずにいました。しかし「陣痛の痛みから意識を逸らす」のではなく「陣痛の痛みよりも強く赤ちゃんのことを想っていること」だと考えると、とても自然に納得することができました。これが正しいソフロロジー出産なのかどうかは分かりませんが、少なくとも私には効果的でしたし、私のお産に興味をもってくれた妹や友人たちにも効果があったようでした。
さいごに
私のイメージトレーニング
最後になりましたが、ソフロロジー出産のイメージトレーニングについて少しだけ言葉を添えておきたいと思いました。ソフロロジー出産といえば独特のイメージトレーニングを思い浮かべる方も多いと思うのですが、私のイメージトレーニングはただCDを聞いていただけです。ソフロロジー本によく書かれてある通り、いつも聞いているうちに寝てしまっていました。寝られるくらいリラックスしていたのが良かったのかもしれません。ソフロロジー出産のためのイメージトレーニングは3回の妊娠中で、ほんの少し感じ方が変わっただけで、特に変えたことはありませんでした。
ご質問やご相談などお気軽に
ソフロロジーの酸いも甘いも経験して( …いいえ、すみません。私の体感的には非常に辛かった1回目のお産ですら助産師さんには「安産だったね」と言われたので、私のお産経験などきっと全く「辛い」部類には入らないのだろうと思います…)改めて1人目の失敗と、2人目と3人目の成功では何がどう違ったのか、何をどう変えたのか…3回のマタニティ生活と3回のソフロロジー出産を比較してみました。
実は出産レポの記事を公開して以降、既に「1人目の失敗と2・3人目の成功では何がどう違いましたか」というお問い合わせを二桁以上いただいておりました。今回ようやくこのテーマについて記事を書くことができたわけですが、記事はこれまでにお問い合わせいただいたご質問すべてに答えられるような内容を目指しました。もしこちらの記事、もしくは下記にご紹介します関連記事でご紹介しております内容の他にも、不安な点やよく分からないことなどがありましたら、是非お気軽にお問い合わせください。
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末筆ながら、みなさまのお産がより幸せな時間になりますよう心から願っております。
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